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東京地方裁判所 昭和32年(ワ)5171号 判決

東京都民銀行

事実

原告高津産業株式会社は請求原因として、原告は金融業を営むものであるが、昭和二十八年十二月十四日訴外都竹弘との間で同訴外人所有の建物一棟につき、債権極度額金百万円、違約損害金百円につき日歩三十八銭、期間昭和二十八年十二月十四日より昭和二十九年十二月十三日迄、手形割引並びに消費貸借による債務を担保する順位一番の根抵当権設定契約を結び、これに基き原告は右訴外人に対し、昭和二十八年十二月十五日金八十万円を弁済期昭和二十九年一月十五日として、更に昭和二十九年四月十五日金十七万円を弁済期同年五月十五日と夫々定めて貸し付けた。ところが訴外都竹弘は弁済期を過ぎても、違約損害金の一部を内入弁済したのみで元金及び違約損害金を完済しない。

一方被告薦田慶二は訴外都竹弘より昭和三十年二月二十五日前記抵当家屋の所有権を取得したものであるが、昭和三十年三月十日原告に対し原告が訴外都竹弘に対して有する債権元本金九十七万円及びこれに対する昭和三十年三月一日から完済迄金百円につき日歩金三十八銭の割合による違約損害金を支払う旨のいわゆる重畳的債務引受を確約した。よつて原告は訴外都竹弘及び被告に対し前記元金及び違約損害金の支払を再三請求したが、両名ともこれを完済しなかつたところ、訴外都竹弘に対する他の抵当債権者から前記抵当家屋につき競売の申立があり、結局競売されて原告は昭和三十二年五月三十日東京地方裁判所から別記元本債権金九十七万円に対する昭和三十年七月二十一日から昭和三十二年五月二十八日迄日歩金二十銭の割合による損害金合計金百万円の交付を受けたが、元本金九十七万円の支払を受けていない。

よつて原告は被告との前記債務引受契約に基き、被告に対し右債権元本金九十七万円とこれに対する昭和三十二年五月二十九日から完済まで日歩金二十銭の割合による損害金の支払を求めると主張した。

被告は仮定抗弁として、被告が甲第四号証(債務引受証書)を原告に差入れたことにより、訴外都竹弘の債務を凡て全面的に引受けたものであるとすれば、右の意思表示は要素の錯誤に基くものであるから無効である。

すなわち、本件抵当家屋は当時時価約三百万円、競売に際しての第一回の最低競売価格金二百十万円、競落価格金百八十五万円であつた位なので、原告の元金、遅延損害金債権を弁済するに充分の価格のある物件であつたから、仮りに右物件が競売されることになつても、その競落代金で原告に対する債務を完済し得るものと信じて、前記甲第四号証を以て引受の意思表示をしたものである。

ところが原告の抵当権設定登記には「債権極度額金百万円」とあるため、法律上二カ年分の利息損害金を含め、合計で金百万円だけしか原告に配当弁済されないこととなり、残余の競落代金は二番抵当権者たる訴外坪井幸一及び仮差押債権者株式会社東京都民銀行に弁済された。

被告としては、競売により元本は金百万円を限度とし、外に二カ年分の遅延損害金が第一順位の抵当権者たる原告に弁済されるものと信じて前記甲第四号証を差入れたものであつて、右のように優先弁済することが法律上できないものとすれば、被告が意思表示をなすにつき重要な部分に錯誤があるから無効である。すなわち、原告が抵当権設定に当り「元本極度額百万円」と表示すれば、元本は金百万円の限度において二カ年分の遅延損害金を含め全額優先弁済を受けられたのであるが、このような微妙な表現の相異は法律上の知識を有しない被告としては、到底識別できず、全額原告に渡るものと信じていたものである。

よつて被告としてこれ以上原告の請求に応ずべき債務はないから原告の請求は失当であると抗争した。

理由

被告の仮定抗弁について判断するのに、証拠によれば次の事実を認めることができる。

すなわち、被告は訴外都竹弘より本件根抵当家屋を買い受けるに当り、その時価を金三百三十万円と見積つたが、一方その家屋の負担として債権額金百万円の原告の第一順位の根抵当権と後順位の抵当権附債権並びに仮差押債権計金百二十万円とがあり、その外原告が代物弁済の予約による所有権移転請求権保全の仮登記を有していた。そして原告は被告に対し根抵当権がついていて当然被告に義務があるのだから債務引受証書を差入れるよう要求し、且つ元金はともかく、当時やでの遅延損害金を直ちに支払つてくれなければ所有権移転を認めない旨を申し入れた。そこで被告は遅延損害金として金四十万円を原告に立替払し、原告の要求に従つて甲第四号証記載のとおり、昭和三十年五月末日までに元本金九十七万円とこれに対する同年三月一日以降日歩三十八銭の割合による遅延損害金を支払えば、原告の代物弁済予約の仮登記はなくなると思い、また万一弁済できずに抵当権を実行されても時価金三百三十万円もする物件で、原告は第一順位の根抵当権者であるから元本金九十七万円は勿論遅延損害金も半年分位(約金六十六万円)は充分に優先弁済を受けられ、原告に対する債務は残るまいと登記簿謄本をみて頭からそう思い込んだので、被告は売主訴外都竹弘に対し評価額金三百三十万円より前記三口の債務計金二百十七万円とその頃原告に遅延損害金として立替払した金四十万円とを控除した金七十三万円を売買代金として支払い、次いで原告に甲第四号証を差入れ、以て債権引受をなすに至つたもので、当時原告を代理して被告と本件債務引受の交渉に当つた鈴木清之助も原告の根抵当権が優先弁済を受け得る金額につき登記簿上の表示を被告と同様に誤解していたことが認められる。

一方被告が約旨に反して弁済しなかつたところ、他の債権者から本件家屋の抵当権実行を申し立てられた結果、昭和三十二年五月三十日原告は東京地方裁判所から前記元本債権金九十七万円に対する昭和三十年七月二十一日から昭和三十二年五月二十八日までの日歩二十銭の割合による遅延損害金百万円の優先弁済を受けたに止まり、元金九十七万円の債務はそのまま残つたことは当事者間に争いがない。

結局被告が登記簿上の根抵当権の表示「債権極度額金百万円」の字句の解釈を誤やつたことが本件債務引受の縁由となつたことは明らかであるけれども、前記認定事実よりわかるとおり、(イ)当時本件債務は既に弁済期を過ぎていて、右債務につき原告が代物弁済の予約の仮登記を有していたことも、被告が右の如く債務引受を約した縁由の一つと推認されること、(ロ)被告は債務引受に当り、本件家屋の抵当権を実行されるより、寧ろ進んで原告に対し、昭和三十年五月末日までに任意に弁済する意向であつて、抵当権実行という事態は場合によつては起きるかもしれないという程度にしか考えていなかつたこと、(ハ)被告が錯誤した事柄は根抵当権の存否に関することではなく、後順位抵当権者との関係で優先弁済を受け得る数額についてのものであり、而も当時としてはその担保金額金百万円と現実の債務額(被告が弁済を約した昭和三十年五月末日を基準にとると、元本並びに遅延損害金を合せ金百三十万円余りである)との開きが後日競売された時に比較しそれ程巨額でなかつたこと、(ニ)家屋の時価よりその負担となつた債務を凡て控訴して売買代金を支払つたこと、等が認められるばかりでなく、更に、(ホ)原告の根抵当権が「元本極度額百万円」として、元本の外二年分の遅延損害金について優先弁済を受け得ることを、本件債務引受契約の内容としたことを認めるに足りる証拠のないこと。

以上の諸点を考慮するときは、被告の前記錯誤が意思表示の要素の錯誤であるとは認め難く、縁由の一つについての錯誤というべきであるから、これにより被告の債務引受が無効である旨の抗弁は採用できない。

よつて被告は原告に対し金九十七万円及びこれに対する昭和三十三年五月二十九日以降の遅延損害金を支払う義務あるところ、利息制限法によれば年三割六分を超える遅延損害金の訴求は許されないので原告の本訴請求を右の限度で認容し、その超過部分の請求は失当であるとしてこれを棄却した。

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